鈴木眞弥子。1974年生まれ。水産仲卸「東京鈴木屋」の社長である。
コロナ禍以来、水産仲卸の店じまいは早くなり、10時過ぎにはシャッターをおろす店も見かけるほどだ。そんななか、「東京鈴木屋」は飲食店が喜びそうな魚介類を豊富に並べて10時過ぎても営業、買出人にとって得難い店となっている。
客の応対からお代のやり取りまでそつなくこなす鈴木さん、以前を知っているだけに、私は少々の感慨をこめてその姿を眺めている。実は鈴木さんは3人の子育て中、現場経験ゼロでいきなり社長に就いた。豊洲への移転を控えた築地時代、2015年のことだ。
「いとこが社長を引退。親族のなかで、わたししかいなくて」と鈴木さん。
家族経営の多い仲卸で、女性が店を継ぐのは珍しくない。取引の現場はベテラン社員にまかせることが多く、鈴木さんもそのつもりだった。
しかし、体調をくずした帳場さんのかわりに店に出ることに。
当時の東京鈴木屋は店売りは二の次、取引の中心はスーパーや居酒屋チェーン向けの箱単位の販売で、ベテラン社員が仕切っていた。現場知らずの社長に、社員はちょっと距離をおく感じだった。
「お客さんも、社長がわたしだとは思わなかったようです」
ひとりおずおずと始めたのが、仲卸の組合が運営する「いなせり」というネット通販。そのうちに競り場でサカナを買うことも覚え、徐々に店頭に並べるサカナの種類を増やしていった。
豊洲へ移り「店売りも大切に」とする鈴木さんのやり方が定着し始めたその頃だった。店を仕切るベテラン社員に辞められたことがあった。大ピンチ。ついてきてくれたのは、若手社員だった。
「さあ、がんばろう」と思った矢先、今度はコロナ禍に。この時は、取引先に助けられた。ある居酒屋チェーンが店先でサカナを売ってくれた。
そしていま。ウイズコロナも浸透した23年、鈴木さんの店への買出人も戻ってきた。客層の中心は居酒屋、フレンチやイタリアンの若手料理人。鈴木さんの彼らへの接し方は、控えめだけどちゃんと話を聞いてくれるお姉さん。元気がはち切れそうな人が多い市場では珍しいタイプだ。
「社長らしくないんですよねえ」と苦笑いの鈴木さんだが、社長らしくないこのキャラクター、案外、強みなのかもしれない。
ネット通販を始めた時、さて、ハマグリをどうやって送ったらいいかわからない。隣の店に聞きに行った。競り場でサカナを買い始めたころは、競り人にしつこく聞いたものだ。「大丈夫?このサカナ。ホント大丈夫よね」とか「わたしだけ高く売ってない?」なめられちゃいけないと虚勢を張ってのやりとりが普通という現場で、鈴木流は逆に勇気がいったことだろう。
「スキルがないから、おっかなびっくり、もう必死。今ならありえない話とわかるけど、きっと競り人もびっくりしてたはずです」
自分の力量を知って、一生懸命働く。ともかくよく働く。大黒柱のベテラン社員が辞めるというあの大ピンチに、若手社員がついてきたのも、鈴木さんのそんな日々の姿があったからだろう。ちゃんと彼らは見ていたのだ。
「ついてくる、というより、自分と一緒にやれる人、と思ってくれたんじゃないですか。社員には、いまも教えてもらうことが多いです」
それは、対お客さんとの関係でも。
「めんどうな注文も断らないんですよ、わたし。受けることで、勉強になるというか。その積み重ね。注文を頂いているのに、いろんな経験をいっぱい積ませてもらって仕事を覚えられた。ありがたいことですよね」
コロナ禍で居酒屋さんとコラボしたサカナ販売は、そんな謙虚な気持ちが通じてのことかもしれない。
ゼロからスタートした社長業も、最近は、「サバ、社長が選んで」と、買出人から声がかかるようになった。
「わたし自身は、まだこれでいいのか、自問自答の毎日。ただずっとやっていたら、そのうちにきっとなにかつかめるんじゃないかというのはあります」
それがなにかは、いまのところわからない。
「事務所で伝票整理だけしてた時は、この値段で売ったら儲けがでないのは当たり前、なんてモヤモヤしてた。ところが現場に立つと、負けてあげたくなる。現場はまったく違うんですね。事務所で数字を追いかけるだけだったら、仕事が面白い、という気持ちにはなれなかったと思います」
最後に、男社会のなかでの女性社長という立ち位置を聞いてみた。
「鈍いのかなあ・・・。女だからと考えたこともないし、女のくせに、みたいなこと、言われたこともないし」
どうやら愚問だった。
(第4回へつづく)