金子和嘉、1998年生まれ。東海大学海洋学部卒業後の21年、豊洲市場の水産卸会社、第一水産㏍に入社。1年後に東京都の競り人試験にパスし、現在、ほやほや若葉マークの競り人である。
金子さんの仕事場は、水産卸5社の水槽がならぶ活魚の競り場である。豊洲市場は閉鎖型の施設が自慢だが、ここは真向に風が吹きさらす場所。11月も終わりの深夜、寒さは尋常ではない。
「今日は時化で、魚、少ないんですよ」
金子さんは、水槽で泳ぐ魚の仕分けをやっていた。タイにヒラメにマツカワに・・・。あっちの水槽からこっちへ。それが終わると、競り順を書いた番号札を水槽に添えていく。「ウロコ1枚はがれるだけで、評価は下がる」と教え込まれているだけに、魚を扱う手は優しい。
マツカワ、ホウボウ、マダイなど
子どものころから魚が大好きだった。希望する就職先は水族館、養魚場、ペットショップ・・・。
「市場も選択肢の一つ。イメージ的には町の魚屋さんのデッカイバージョンだったかなあ」
入社後の現場研修。活魚の競り場に足を踏み入れた瞬間、心臓をわしづかみにされた。手が届くとこにいろんな魚がいる。パラダイスか、ここは!
競りまであと1時間。三々五々、仲卸や買参人が魚の下付け(下見)にやってくる。これと思う魚には手で触れ、下付け帳に希望価をメモしていく。
5時、5社共同で競りが始まる。順繰りに2社が同時にやるのだから、いきなり音量アップ、すさまじいのなんの。第一水産は南野秀明さん、西野貴雄さんのベテラン競り人2人、そして金子さんという陣容だ。
金子さんが競りに立ったのは、22年8月から。担当は明石浦や淡路の魚。活魚のブランド産地である。
「あえていい魚を担当させてます」とは、直属の上司である西野さん。過去には、ヤリを見落とそうものなら長靴が飛んできたという噂の現場だ。いい魚を知ることもさることながら、上物と向き合う緊張感は半端じゃないだろう。メンタルを鍛えるにはいい試練かもしれない。初めは、自分の競りが回ってくるまでビクビクしていたが、1か月でなんとかクリアできたという。
とはいえ、競りの大半を受け持つのは西野さんだ。その間の金子さんは記録係だ。競り人の競り番号の声と同時に上がるヤリを拾い、記帳する。競り人には欠かせない訓練の一つでもある。
その日の金子さんの出番は、最後の5分ほど。西野さんの体全体を使って競りを引き寄せていく巧みなパフォーマンス、南野さんの競り人特有のだみ声による名調子。競り人はオーケストラの指揮者のような存在と思っているが、二人の競りする姿は、まったくその通りだ。金子さんはそれには遠く及ばないが、目を左右に走らせ、声を張り上げる姿は、競り人一歩目をスタートした清々しさにあふれている。
あっけなく終わった金子さんの競りだったが、これは一連の作業の終着地点。その前に産地から、魚を呼び寄せる大仕事がある。産地から荷を送る業者を荷主と呼び、この荷主といい関係を築くことが大切になってくる。
「ウチ(第一水産)で、荷主の数は80軒ほど。どの荷主とも付き合えるようになってもらわなくては」と、西野さん。
「浜で活魚として水揚げするのは、1割にも満たない。そこから、いいものとなるとほんの一握り。それだけを欲しいというのはあり得ない話で、いいものよりずっと多い下物の魚も受け入れる。いい関係を築き、長続きさせるには、そういうことの積み重ねです」
下物も売れる競り人。そのためには、仲卸や買参人に信頼されることが必要だ。行きつくところ、荷主と仲卸や買参人の双方が納得のいく適正な価格で取引を終えることだ。
「仕事自体は、センスあるヤツなら1年で覚えられる。だけど、それからです。何を学べばいいのか、具体的にはいえないけれど・・・追い求めたら一生モン。やりがいあるし、おもしろい仕事です」という西野さんの言葉は、金子さんへのエールである。
22年現在、豊洲市場の水産関係の競り人は533名。しかし、実際に競りで取引をしている水産物は、天然の活魚のほかに天然のマグロや活エビなど入荷量の1割にも満たない。競りに関していえば、ペーパードライバー状態の競り人の方が多い。そんななか、希望の現場で競りに立てる金子さんは、ラッキーボーイ。ブラボーな立ち位置を、どこまで究めていくのだろうか。
取材協力:第一水産株式会社
www.daiichisuisan.co.jp
(第3回へつづく)