私の生まれた1960年代はまさに高度経済成長期であり、国が急速に発展を遂げていく一方で、人口の集中や工場の増加、臨海部の埋立て拡大などによって、大気汚染や水質汚濁のみならず、騒音、振動、悪臭など、多くの負の遺産も生んできました。子供の頃に遊んだ瀬戸内播磨灘もコンクリートの護岸へと大きく変貌。浅場が減少し藻場や干潟が消失したところに工場排水や生活排水が流入し、赤潮の抑制能力が失われました。海は酸素不足に陥り、特産の牡蠣を含む多くの魚介類が全滅する事態になるとともに、残った浜辺では潮干狩りや海水浴もできなくなり、その劣悪な光景にショックを受けたことを思い出します。
その後、水質汚濁防止法などにより有害物質を含む排水の適正な管理基準が設けられたことで、公共用水域および地下水の水質汚濁の防止が図られ、赤潮の発生頻度も抑制されていきました。
しかし今、世界は温室効果ガスによる地球温暖化という大きな問題に直面しています。異常気象による猛暑や水害、土砂災害、海面上昇による沿岸地域の水没、さらには伝染病の増加の危惧など、今までに経験したことのないさまざまな悪影響が私たちの生活基盤に降りかかってきており、その対策が喫緊の課題となっています。
私たちリンテックは、社会的課題に対して企業としての役割・責任をしっかりと果たし、サステナブル社会の実現に向けて貢献し続けようという考え方に基づいて、多角的な取り組みを推進しています。
当社はシール・ラベル用をはじめとする粘着紙や粘着フィルムの製造・販売を行うとともに、特殊紙といわれる紙を手掛ける製紙事業も展開しています。カラー封筒用紙、色画用紙、名刺用紙、あるいは少し変わったものとしてはクリーニングタグに適した耐洗紙などを抄造しています。そんな特殊紙製造技術の一つに、混抄技術があります。混抄とは、紙の主原料であるパルプに異質なものを混ぜ合わせて紙を抄造することを言い、当社製品としては、例えば小豆の殻などの廃材を有効利用した混抄紙があります。そして今回ご紹介する「コアマモ混抄紙」は、この技術を使いつつ、当社として初めて「ブルーカーボン」というテーマに挑戦していこうというものです。
きっかけは、2018年に社内で発足した組織横断的なプロジェクトであるSDGs委員会からでした。具体的な目標を設定した各チームが、大学や研究機関、企業、NPO/NGOなどの協力も仰ぎながら検討を重ねてきましたが、そのうちの一つのチームが「14. 海の豊かさを守ろう」をテーマに掲げた施策検討に着手し、千葉県水産総合研究センター東京湾漁業研究所様や国立研究開発法人水産研究・教育機構様との接点が生まれました。
そこから、光合成により大気中のCO2を直接吸収する「アマモ」「コアマモ」を知ることになり、「アサリの稚貝保護」「区画管理や航路の確保」を目的に間引きされたコアマモの有効利用価値について協議を始めました。
まず、アサリは海水中の有機物を摂取して海水浄化に大きく寄与する役割があるとともに、私たちの食卓を賑わしてくれています。東京湾においてはアサリをはじめ、貝類漁業が重要な位置を占めていますが、近年アサリの漁獲量が減少傾向にあり、国内流通量の約9割が外国産であるということを知りました。そう言えば子供の頃、潮干狩りのアサリは前日夜に撒いていると夢の無い話を聞かされたことがありました。撒いているのは外国産らしいという話はもう少し大人になってから耳にしましたが。そのアサリとコアマモの関係を知るため、初めて胴長を着用し、実際に干潟へ繰り出しました。
浅場に群生するコアマモの根付近にアサリは生息しており、そのアサリの生態研究と稚貝の保護(クロダイや鳥類から隔離できる安全な場所に移植させる)、加えて漁業者の航路確保などを目的とするコアマモの間引きの必要性を聞き、「ブルーカーボン」をテーマに新たな付加価値の創出に向けた取り組みに着手することにしました。
用途開発として、当初はコアマモから抽出したエキスを当社製品に使用する粘着剤や離型剤(シールの台紙など剥がす側に使用する薬剤)、サイズ剤(紙に使用する薬剤)などに応用することの可否について検討しましたが、私はコアマモを人の手に触れるものとして製品化したいとの考えから、混抄紙へのチャレンジを提案しました。
ただ、コアマモは過去に当社が経験した混抄紙材料とは比べものにならないほど厄介な材料でした。最大の問題点は「異物」。抄紙機にとって、硬い異物はご法度です。原因はアサリなどの貝殻がコアマモを間引く時に紛れ込んでくることでした。その除去作業に欠点検出器でのテストを行いましたが、貝殻が搬送中にコアマモの中に隠れてしまったり、コアマモと近似色のものが区別できなかったりと困難を極めました。
そして最も手強いのが、ホトトギス貝という二枚貝。殻皮は光沢のある緑褐色の地に赤褐色の縞模様が波型に多数走っていて、鳥のホトトギスの胸の縞模様に似ていることが名前の由来のようなのですが、足糸と呼ばれる物質を分泌し、砂粒を自分に付着させた状態で数個が連なってコアマモにしがみつく。可愛いネーミングの割には小憎らしいくらい除去しづらく、採取時の配慮と丁寧な洗浄作業に骨を折ることになりました。
このような試行錯誤を繰り返すとともに、粉砕作業や抄紙時の化学的酸素要求量(COD : Chemical Oxygen Demand)なども換算し、適正な粒径と混抄比率を見極め、ようやく抄紙機での製造を想定した手抄きの平判サンプルの作成に至りました。
CO2を吸収したコアマモのバイオマスを紙として固定し、印刷本など長期間保存するような使い方をすれば、木質バイオマスの建材利用等によるCO2長期貯留と同じように、コアマモ混抄紙による CO2長期貯留が生まれます。また、混抄紙を化石燃料由来の製品に変わる様々な用途に応用していくことで、コアマモの再生可能バイオマスとしての役割が作られていきます。試験段階の現時点では、まずは名刺や封筒、包装紙などに用途展開できればと考えています。今後は量産機での抄造を計画するとともに、CO2吸収量の算定結果を踏まえ、「ブルーカーボン」を有効利用した新たな環境配慮製品として世の中に認知されてゆくことを願っています。
当社グループは今後も、省エネや化石燃料からの転換、環境配慮素材の開発など、持続可能な地球環境の維持と低炭素社会の実現に向け努めるとともに、認証された木材パルプを使用することで「グリーンカーボン」にも貢献し、さらに「ブルーカーボン」にも挑み続けていきます。
(第15回へつづく)