毎週土曜日の午後3時。山口県田布施町の静かな漁港に、短い賑わいの時間が訪れる。夜中に夫が水揚げした魚を夫婦で港からすぐに加工場へ運ぶ。そこで妻たちがすぐに一次加工を行う。そうして出来上がった商品を販売する「昼市」。開始の合図とともに一気に人が集まってくる。売り切れるまで、わずか10分足らず。天候が悪い日も、魚が少ない日も、この昼市は続けられてきた。
(濱田秀樹さんご提供)
ここまで当たり前のように続いてきたこの光景は、決して自然に成り立ってきたものではない。必死に、やめずに、売り続けてきた時間の積み重ねがある。そのメンバーにいたのが、Iターンで山口県田布施町に移住した濱田秀樹さんと、妻の美穂子さんだ。
家族のために選んだ漁業、続けるための昼市
今や山口県漁協田布施支店の運営委員長であり、山口県漁協青壮年部連合会の会長も務める秀樹さん(2026年3月時点)は大阪府枚方市出身。かつて大手ハウスメーカーでトップ営業として働いていた。21歳で結婚し、仕事中心の生活を送るなかで、26歳のときに一つの決断をした。「給料よりも、家族との時間を大切にしたい」「会社に使われるのではなく、自分で経営できる仕事がしたい」。美穂子さんと当時3歳と1歳の子どもを連れ、漁師になるため縁もゆかりもない山口県田布施町へ移り住んだ。
2003年、東京で開催された漁業就業支援フェアをきっかけに飛び込んだ漁業の世界は、未経験者にとって厳しい現実の連続だった。水揚げは安定せず、中古船の購入で資金繰りにも追われる。さらに、エソやコチ、小ぶりなイカなど、味は良くても市場で値がつかない「未利用魚」が捨てられていく現実を目の当たりにした。
「このままでは、漁業は続けられないが、やり方次第では可能性があるはず」。そう思う背景には、すでに現場で感じていた手応えがあった。田布施では以前から一部の漁師たちによって朝市として鮮魚販売が行われており、消費者からは「魚を捌いてほしい」「下処理をしてほしい」という声が多く寄せられていた。であれば、加工という一手間を加え、付加価値をつければ、より高く、より安定して売れるのではないか。未利用魚を有効利用魚に変え、収入を安定させ、消費者の求める形で届けたらどうだろうか。そうした考えから、山口県漁協田布施支店の底曳網漁業の仲間の中で、加工事業に取り組む有志を集め、議論が始まった。その協議は3年にわたって続いた。話し合いを重ねるなかで、加工を本格的に行うには、最低限の施設が必要だという結論に至った。支援事業の活用を検討したが、それだけでは資金は足りず、自己資金の負担も避けられなかった。「自己資金が必要なら、やめる」。そうして仲間は次第に減っていった。濱田夫妻を含め、それでも残ったメンバー5組の夫婦で、2005年、漁師自らが加工・販売まで手がけるグループ「新鮮田布施」を立ち上げた。漁港で直接売る昼市も、その覚悟の延長線上にあった。
売り続けることで、仕事を成り立たせる
「新鮮田布施」は、「自立・新鮮・安価・実力主義」という4つの原則を掲げてきた。漁協任せにせず、自分たちで施設の維持管理費を賄う。秀樹さんは前職の経験を生かし、売上管理を自ら行い、運営の透明性を高めた。
その結果、それまでタダ同然だった未利用魚は加工によって価値を持ち、単価は約10倍にまで上昇。漁船漁業のみの場合と比べ、純利益は約2.4倍に伸びた。しかし、こうした数字以上に大きかったのは、昼市を開催し続けてきたことだ。昼市を続けてきたからこそ、消費者との関係が生まれ、信頼が積み重なった。
加工と販売を支えた、美穂子さんの20年
昼市と加工の現場を支えてきたのが、妻の美穂子さんである。水揚げされた魚は、港で待機していた妻たちの手によってすぐに加工場へ運ばれ、その日のうちに商品になる。鮮度を守るため、時間との勝負が続く。
(濱田秀樹さんご提供)
美穂子さんは、これまでの年月を振り返りながら、「子どもたちをほったらかしにしてきた、という負い目は今も消えない」と語る。昼市や加工に追われ、家にいない時間も多かった。過去を思い出すと、今でも涙が出ることがある。
それでも、成長した子どもたちはこう言ってくれる。「お母さんたちは必死だったけど、ちゃんと自分たちのことも見てくれていたよ」。その言葉が、今も美穂子さんを支えている。子どもたちは現在、いずれも山口県内で働き、暮らしている。
女性が担う現場と、担い手の難しさ
長年、加工の現場ではベテラン女性たちのやり方に合わせる日々が続いた。近年になって世代交代が進み、美穂子さんはようやく自分の感覚を生かした加工に取り組めるようになってきた。例えば「グチは、頭がついている方が見栄えが良い」。消費者目線の工夫を重ねている。
一方で、魚が多く獲れれば獲れるほど、加工の負担は増す。「獲れれば獲れるほど良い、というわけではない」。時間と労働力に限りがある中で、やりくりが続く。その言葉には、加工の現場を支える女性たちの現実がある。
それでも、昼市を続ける理由
現在、「新鮮田布施」の活動を担うメンバーは二組のみ。施設の維持費や人手不足など、課題は山積みだ。それでも「新鮮田布施」のメンバーには、昼市をやめるという選択は今のところない。
Iターンとして地域に入り、気づけば “支えられる側” から “支える側” のベテラン漁師となった濱田夫妻は今、自らの経験を次の世代へ手渡す橋渡し役になろうとしている。濱田夫妻はその思いを語る。漁師である夫が魚を獲り、妻が加工し、消費者に直接届ける。これを守り続けることが、この地域で漁業を “仕事” として成り立たせる条件だと感じているからだ。
次世代へのバトン:漁協女性部の設立と新たな壁
濱田夫妻の視線は、常に地域の未来に向けられている。Iターン漁師の受け入れを比較的たくさん行ってきた当地域で、2024年春、美穂子さんたちは、新たに「漁協女性部」を設立した。この設立に込められていたのは、単なる組織づくりではない。自分たちと同じように、外から地域に入ってきた新規就漁者の妻たちが、漁村の中で孤立しないための “居場所” をつくりたい、という切実な思いだった。
女性部の研修として他地域へ出向く機会をつくれば、遠方からやってきた女性たちが実家の近くまで足を運ぶきっかけにもなる。そんな配慮は、Iターンとして漁村に入り、悩みや戸惑いを重ねてきた美穂子さんたち自身の経験に根ざしたものだった。
しかし現実は、理想どおりには進まなかった。期待を寄せていた若手Iターン漁師の妻が体調を崩し、2024年9月、夫婦で漁業を辞めて帰郷することになったのである。手塩にかけて見守ってきた若い仲間の離脱は、濱田夫妻にとって大きなショックだった。
だが、いつかメンバーが増えるその時のために、今は山口県漁協柳井支部青年部と協力して、地域の子どもたちに魚のさばき方教室を開くなど、地道に漁協女性部活動を続けている。
それでも、続けていくという選択
このように、次の世代へとバトンを渡そうとする一方で、現場はこれまで以上に厳しい局面に立たされている。それでも、濱田夫妻は歩みを止めていない。人が減り、先が見えにくくなった今だからこそ、「自分たちが続けてきたこと」に意味があると感じているからだ。
Iターンとしてこの地に入り、悩み、迷い、支えられながら漁業を続けてきた。その経験は、同じように外から漁村に入ってくる次の世代にとって、確かな道しるべになる。組織や制度は簡単に整わなくても、「こうすれば続けられる」「こうすれば一人にならずに済む」という実感は、言葉や姿勢として引き継ぐことができる。
土曜日の午後、港で開かれ続ける昼市。その裏側には、家族への思いと負い目を抱えながらも、必死に続けてきた20年がある。この営みは、派手さはないが、20年かけて積み重ねてきた漁業のかたちそのものだ。この港で、この海で、暮らしを続けるために。田布施の昼市は、今日もまた開かれている。
(濱田秀樹さんご提供)
参考文献
- 濱田秀樹,新鮮田布施の取り組みについて,「漁業経済研究」第61巻,第1号,2017年,pp.105-109
