水産振興ONLINE
水産振興コラム
20239
進む温暖化と水産業

第8回 
ルポ「温暖化と地域の未来」(上)(北海道・積丹編)

中島 雅樹
株式会社水産経済新聞社

若者が育てるウニと海
本気だから、育てた漁場は譲る

空が白み始める日の出間近、積丹町の沿岸に浮かぶ宝島周辺に、ブーンッと船外機の音を響かせた小型船が、どこからともなく集まってきた。ウニをつかむために3本のカギを先端に付けたヤスと呼ばれる長い棒や、海をのぞく箱眼鏡を乗せた船は、それぞれのポジションを探るべく、前後方への移動を繰り返す。その様子は美国漁港の先に突き出した黄金岬から一望できる。約20隻が揃った午前4時50分。先頭の漁師が小さな旗を掲げると、船外機のうなり音が一斉に高まり、船首を高く持ち上げた。先を急ぎ複数船が航跡を描く様はまさに競艇。岬の奥にある漁場へわれ先にと向かい、積丹のウニ漁が始まった。

合図とともに漁場に一斉に向かうウニ漁船

積丹町は、北海道の西部、札幌のほぼ真西に当たる積丹半島の先端に位置する。魚が沿岸を埋め尽くす「群来くき」の言葉が残る、かつてニシン漁で栄えた町の一つだ。現在の人口は1800人を切るまで減少しているが、その分、町の団結力は強く、海とともに生きる町として気炎を吐いている。

忍び寄る温暖化の影

積丹町の象徴といえば、ウニと紺碧ぺきとエメラルドグリーンが織りなす透明感ある“積丹ブルー”の海だが、そんな積丹町の財産に地球温暖化の影が忍び寄っている。鮮やかな海もよく見れば、所々に白い岩肌が浮かび上がっている。まさに磯焼けの海だ。ブルーに混じる白のコントラストは見た目にはきれいではあるが、その美しさこそ小魚のすみかを減らし、餌となる海藻の減少でウニもいなくなった証しだ。海水温の上昇は獲れるウニの種類も変化させた。昭和の終わりごろまではウニ採捕量の7割を占めていたエゾバフンウニの比率は近年ではわずか1割に。今、積丹のウニの大半はキタムラサキウニに変わってしまった。

鮮やかな積丹ブルーの海にも磯焼けした白い岩肌が広がる

そんな地元の海の変化に危機感を抱く若者たちがいる。何も、ウニやナマコ漁で生計を立てる浅海漁業者だけではない。2009年に「美国・美しい海づくり協議会(美国地区)と「余別・海HUGくみたい(西河地区)が設立され、ホッケやタラなどを対象とする刺網の若い漁業者らも加わり、海やウニを次代にまでつなごうと「海の森づくり」を開始した。

藻場造成活動と並行して15年から取り組んだホソメコンブ養殖では、年間100トンを廃棄していたウニ殻の肥料開発に成功した。その技術を藻場造成にも還元しようと、研究機関、大学、企業などが協力し乾燥・粉砕したウニ殻を環境に影響のない天然ゴムと混ぜて固める手法も開発。藻場造成とそこで育つウニの増産、身入りの増加につなげた。その成果は、21年に開かれた第26回全国青年・女性漁業者交流大会で発表され、農林水産大臣賞を受賞している。

積丹町の松井秀紀町長は、温暖化の影響に立ち向かう若者の活動に目を細める。

「今は本当に先の読めない厳しい時代。しかし、積丹町は漁港や漁村とともに生きるしかない。それが原点。町の財産の一つであるウニや藻場造成に現場の若い人たちが取り組んでいるのは本当に喜ばしい。彼らの父親たちの世代からよく知っているが、彼らのいいところはおおらかでくよくよしないこと。どんどん前向きな取り組みを期待したい」と若者の活動を応援。そのうえで、「藻場造成は、国が目指すカーボンニュートラルに向け、海藻で二酸化炭素(CO2)を固定化するブルーカーボンにつなげられる。これは町にとってチャンス。将来、ブルーカーボンがクレジット化できれば新たな漁業経済価値を生み出す可能性もある。民間企業とも積極的に連携し、積丹町の新たな歴史を刻みたい」と、藻場が吸収したCO2を漁業者らが企業と取引するブルーカーボンのクレジット化にも前向きだ。

ブルーカーボンに町の未来をみる松井町長

水産庁もブルーカーボンのクレジット化を加速させようと、申請ノウハウの構築に向けたモデル化事業(23年度水産基盤整備調査委託事業=水産土木建設技術センター、漁港漁場漁村総合研究所受託)を開始している。積丹町はそのモデル地区の一つに選ばれ、仕切り線による潜水調査やドローンで藻場の規模を測定しながら、専門家の協力を得て申請の準備を進めている。

次の世代、町の未来に

若い漁師たちは真剣だ。

最年長で若者たちのリーダー的存在である美国・美しい海づくり協議会の白川浩治氏(51)は、「思いは一つ。持続可能な海になるための磯焼け対策に尽きる。ここは行政との連絡が取りやすく、身近に強力な味方がいるし、仲間も本当にがんばってくれている」と一体感での取り組みに自信をみせる。

ウニをむきながら積丹の海づくりを語る白川氏

父から漁業を継いだという小林強太氏(32)は、「数十年先までウニ漁をしていたい」を動機に「成果が出ている実感はある。もっと参加者を増やして大規模に取り組んでみたい」と手応えを語る。一度積丹を出て札幌で就職したものの、Uターンして漁業の世界に入ったという田代輝氏(31)は、メンバーの中では若手に入るが、「若い自分たちが美国の指導者になりたい」と夢をみる。

「HUGくみたい」に兄弟で参加する兄の荒谷司氏(30)と最年少の荒谷将樹氏(26)は、父親と兄弟の3人で組合員資格を取得。まさに家族で漁を行っている。ただ、6~8月のウニシーズン中心の仕事について、現在共同して試験的に実施しているウニの蓄養事業も踏まえながら、兄の司氏は「家庭をもつと稼ぎが大事。藻場造成はもちろんのこと、冬場にも出荷できる規模の蓄養や養殖ができたらいい。それが実現し、地元でも稼げると証明できれば、もっと若い人が町を出ていかなくて済むようになる」と夢を膨らます。弟の将樹氏は「自分がいちばん若いので、自分が年配になる何十年先でも漁師をやっていけるように漁場を復活させたい。取り組んだだけ成果が目にみえるのも、やりがいになっている」と意気軒高だ。

山田孝弘氏(39)は、磯焼けで真っ白になりウニも小さくなってしまった海を嘆きながら、「豊かだった祖父の時代の海を取り戻したい」と熱く語り、竹谷雅一氏(47)は、「自分は刺網漁業が中心だが、刺網で獲れるホッケなども不安定。将来はウニ採りもやりたい」と将来を見据える。佐藤翔太氏(35)は、現状の危機感について、「今からやっていかないと自分たちの子供の時代に手遅れになる。自分も刺網だけでウニはやっていないが、地域の将来を考えれば活動は当たり前」と言い切る。

そんな熱い思いをもった若者の活動だが、ほかの漁師にはなかなか理解されていない部分もあるという。ただ、そんな現実にも白川氏は、「理解してくれる漁師も徐々に増え、関心をもってくれるようになるはず」と気に留めない。それどころか、もっと仲間を増やしたいという思いから、自分たちが藻場造成しウニを増産している場所で彼らはあえて漁をせず、高齢の漁師らにその場所を譲っているという。

「参加していない漁師たちも藻場が増え、ウニの身入りがよくなった場所で漁をすれば、私たちの活動の効果を実感してくれるはず」と話し、活動に向き合う本気度をのぞかせている。

藻場育成に真剣に取り組む若い積丹労使たち
(2021年「浜の活力再生プラン」で水産庁長官賞を受賞した際に記念撮影)

連載 第9回:「温暖化と地域の未来」(下)(北海道・積丹編) へつづく

プロフィール

中島 雅樹(なかしま まさき)

中島 雅樹

1964年生まれ。87年三重大卒後、水産経済新聞社入社。編集局に勤務し、東北支局長などを経て、2012年から編集局長、21年から執行役員編集局長。